私はバイセクシャルの身体的女性です。


綾野ドゥ 

私はバイセクシャルの身体的女性です。
彼女がいて、いつか同性婚が法律で認められたらいいな、とほんのり思っています。

私は性的マイノリティのコミュニティには属しておらず、性的マイノリティの友達はほとんどいないので、性的マイノリティでありながら性的マイノリティの事情には明るくありません。

同性婚の権利活動を追っているさなかBuzzFeed、ハフポスト、vogueなどの性的マイノリティ問題を取り上げるメディアとその寄稿者の動向が自然と目に入るようになりトランスジェンダー女性への差別問題、ハリーポッターの作者J.K.ローリング(以下、J.K.R)の炎上などがあることを知りました。

J.K.Rはなぜ炎上しているのか調べてみると

J.K.Rが何故炎上しているのか調べてみるとJKRに批判的なメディアか、中立のようでいて結論が中に浮いたような記事しか見つかりません。常日頃、物事を誤解しないためにはソースを集めて各意見を見た上で判別せよ、と聞くので、JKRを擁護する意見を集めて確認し、またJKR本人の主張翻訳版を拝見して見ました。

JKRの意見は至極真っ当で、どのあたりが批判されるべきなのか私にはわかりませんでした。いやしかし、もしかすると、私こそ差別の渦中にいて知識が足りないからいけないのかとも思いました。ですから、何度もトランスジェンダー女性差別反対を訴える人の主張やまとめ、大学教授の論文も沢山読みました。

それでもJKRの主張していることが差別的だとはどうして思えないのです。

私も未成年のころ自分のジェンダーに悩み男になりたいと願ったことがあります。

しかし、男性になりたいわけではなく
”女性らしさ”と言われるやつから逃れたいだけでした。
“女性”というだけであらゆる不当に嫌な目に合うことを心底知っていたからです。男性になれば今度は男性らしさに苦しむことになるでしょう。
私のジェンダーの呪いの根源は社会にあるのであって、私の身体や心には無いと気がついたとき、女性のまま生きていきたいと思いました。

全てのトランスの方がそうだと言ってるのではなく、トランスの悩みとジェンダーの悩みが混ざってしまってる人もいるのではないでしょうか。そこに医療の介入もなく、自身の決断のみで性自認を決めてしまってもよいのでしょうか。

ホルモン治療や性適合手術が身体にかなりの負担がかかり、さらに金銭的にもトランス当事者を深く苦しめていることは事実だと思います。その事には国が医療財源を当てるなど更なる支援が必要かと思います。
ホルモン治療や性適合手術を強制せよと暴論は言いませんが、せめてカウンセリングは受けた方が良いのではないでしょうか。

女性専用スペースに、トランスジェンダー女性の受け入れをすると、自称トランス女性の性犯罪者による女性専用スペースへのアクセスが容易になることを懸念しています。

性犯罪の多くは再犯率が高く、犯罪手段もどんな手を使ってでも成し遂げる執念深さが見て取れます。性犯罪者は性犯罪依存症なのです。性犯罪を犯すためならば女装は難なくやると思います。

では、どうやってトランスジェンダー女性と性犯罪者を見分ければいいのでしょうか。現状ではパス度の高いトランスジェンダー女性は許可を得る得ない関係なく既に女性専用スペースを利用しています。
ではパス度の低いトランスジェンダー女性と性犯罪者はどう区別をつければいいのでしょうか。外見からそれを区別をすることは不可能なため、男性かもしれないと思えばその場から逃げ、通報するしかありません。
それは差別に当たるのでしょうか。

いったいどうやって女性専用スペースでの安心を確信すればいいのでしょう。

そもそも、トランスジェンダー女性は女性専用スペースを利用する必要があるのでしょうか。多機能トイレがある場合はそちらを優先して使う方がいいのではないのでしょうか。全ての場所に多機能トイレがあるわけではありません。
私たちはあらゆるマイノリティの人の平等への第一歩として多機能トイレを増やすことを優先課題とすべきなのではないでしょうか。
大変お金のかかる事業です。しかしあらゆる場所で多機能トイレはあるべきです。

誰もが平等に銭湯や温泉に入る権利はあります。しかしそれは、身体的女性の安全を脅かしてまですることなのでしょうか。
家族風呂や個室風呂を使えばよいのではないですか。

私は身体的女性であり、現在身体的女性と付き合っています。
出会いはレズビアン・バイセクシャル・シス女性のための女性専用イベントです。

しかし、トランスジェンダー女性も女性だという括りに入ると、トランスジェンダー女性はあらゆる女性専用イベントに入れることになります。

あらゆる女性専用イベントで期待される暗黙の了解は、全ての女性が身体的女性であることです。

レズビアン同士にだって好みはあります。
髪の長さや体型など選ぶ権利があります。
それで誘いを断ったとしても差別だと罵られることはありません。好みが違っただけです。

では、レズビアン女性がトランスジェンダー女性の誘いを断ったら差別になるのでしょうか。
暗黙の了解として、身体的女性であることを望んでいたのにそうでなかったことに驚いたら差別でしょうか。

今、私たちが使用している女性専用スペースはあらゆる主催者の意向にもよりますが、トランスジェンダー女性を受け入れるところが増えています。
身体的女性オンリーの場所を望んでる人にとってそれは脅威です。
ならば、身体的女性オンリーの場であるかどうか事前確認すればいいではないかと言われそうですが、それを明確にしてしまうと何が起こるでしょうか。
世界中からバッシングされトランスジェンダー女性への差別だと言われます。

数少ない安全を求めて、女性専用スペースや女性専用イベントに出かけているのに日常に埋め込まれた性被害への懸念をしながら生きていかなければならない。
トランスジェンダー女性への法的性別変更要件の引き下げは、身体的女性への安全とトレードオフと考えます。

私は彼女と同性婚がしたいです。


しかし、同性婚運動と引き換えにこの分かりにくいトランスジェンダー問題が有耶無耶にされ、法的性別変更の要件引き下げやセルフIDの法案等が通されることを酷く懸念しています。

例え現行法のままであっても、このまま日本社会がトランスジェンダーへの差別はあってはならないという風潮が広がるほど見た目で判断することが差別になることと、防犯との境目をどこにつけてよいか混乱してしまいます。

身体的女性の安全が守られるならば
私は、同性婚は出来なくてかまいません。

平等とは少数派の人への合理的な配慮であるものです。
しかし少数派である性的マイノリティの権利ために多くの身体的女性が危険にされされることは天秤にかけることではありません。

性犯罪を今よりも圧倒的に少ない社会を実現できないならば、女性専用スペースを身体的男性と共にすることは出来ません。
近年女性専用スペース、女性を狙った犯罪の存在の多さを見れば、身体的男性を信用して女性専用スペースを利用せよというには無理があります。

このトランスジェンダー問題を知らない女性たちがこの事を知らずに法案が通されることはあってはならないと思います。

身体的女性とトランスジェンダー女性が連帯出来るとすれば、それはあらゆる性犯罪への撲滅への弛まぬ努力と実行です。
トランスジェンダー問題で取り組むべき優先課題はまず性犯罪ではないのでしょうか。