「トランス女性は女性です」に対して思うこと


ぷりり

ここ最近、「トランス女性は女性です」のスローガンをよく目にするようになりました。生物学的に男性でも性自認が女性ならば、周りもそのように扱わないと「ミスジェンダリング」という差別になるそうです。
もちろん、本人が自分をどのように認識するかは自由ですし、私も自分の身近な知り合いであれば本人の気持ちを尊重し本人が望むように対応したいです。
でも私の本心を言わせてください。社会制度を考えるとき「トランス女性はトランス女性」として考えるべきだと思います。「女性」と「身体が男性のままのトランス女性」の間には線引きが必要だと思います。

①身体差について


そもそも、なぜ女性は古今東西差別されてきたのでしょうか。特定の文化圏だけではなく、世界中どの地域でも身体的男性から身体的女性への暴力に偏っている理由は何でしょうか。性器の形状や体格や体力差は無関係でしょうか。女性がもし「男性」を名乗れば防げることでしょうか。私はそうは思いません。

②女性としての経験とは何か


女性は生まれた時から女性として様々なバイアスをかけられて育てられます。「女の子だからやさしいね」「女だから勉強は頑張らなくていい」といった直接な言葉だけではなく、メディアでの女性の描かれ方などを見るうちに間接的に影響を受けることもあります。また、痴漢やセクハラなどの性被害も多くの女性が経験します。生理や出産を経験し、自分の無力さや男性と比べて劣っているのではないかという挫折も経験します。女性はそういった経験の積み重ねの中で委縮して、男性と比べて自己肯定感が低く育つ傾向にあります。

もちろん全員が同じ経験するわけでもないですし嫌な経験ばかりではありませんが、「女性」を語るときこうした差別的な経験は無視できないでしょう。
にも関わらず異なる属性(さらに言うと歴史的に差別をしてきた側の属性)が、差別を受ける側の属性を名乗り社会的に同じように扱えと主張するのはとても脅威に感じます。民族差別、黒人差別の問題に例えれば多くの方は共感してくださるのではないでしょうか。なぜ女性においてはそれが許されるのでしょうか。

③「トランス女性」という属性のあいまいさ


  最後に、防犯面についての懸念です。トランス女性とは、どんな方達を指すのでしょうか。「性自認(こころの性)と身体的性が一致していない方」というのは一般的な見解のようですが、性自認はどのように証明するのでしょうか。男性が女装して盗撮をしたり、銭湯に入ったりする事件は度々起こります。また性犯罪加害者のうち9割以上は男性、被害者のうち9割以上は女性です。(警察庁の「警察白書」参照)そのような中で、本人の主張する性自認の通り公共の場で扱わなければ差別になる社会になれば、性犯罪者の男性がトランス女性に混じって女性のスペースに入り加害してくることは明らかではないでしょうか。(「トランス女性」ではなく、「トランス女性を装った男性」ということを強調します。)

 以上が私の主張です。
他の差別問題と同じように、差別されている当事者は誰なのか、何故差別されてるか、そこから考え直していただきたいです。
私は文章を書くのがとても苦手なのでこの文章は説得力に欠けるかもしれませんが、一人の女性の声として受け取っていただけると幸いです。読んでいただきありがとうございました。