(7)ハイデガーの誤用?=自分で考えず仲間に内面を委ねるジェンダーカルト
笙野頼子
ご存じのように、ハイデガーは偉大な哲学者でドゥルーズにも影響を与えています。つまり本人はナチス協力者でもその哲学は有用なので彼の研究は必要であろう、と今もなっている。ただドイツなどではその過去の行い故にか、もうあまり人気はない。ただし表現の自由という見地から見ても、研究、言及は許されるべきと私も思います。でも、……。
例の水上文氏はキャンセルカルチャーの信奉者、実行希望者ですよ?それでナチスをキャンセルしない理由はなんですか?なおかつこの人ハイデガーを誤用しているのでしょう?それもハイデガーと同じ方法での誤用ですよ。ていうかそうとしか思えないので書いてみます。
ていうかジェフ・コリンズ『ハイデガーとナチス』(岩波書店、2004年)という本があったので(既に絶版らしいです)。
この、ハイデガーは自らの優れた哲学を誤用する事によって、ナチス協力者へと変容しました。しかも戦後アウシュビッツの事実を知った後もその事にはさして言及せず、更には?ハイデガー本人の中心とも言える「存在」についても誤用してしまい、多くの困窮した個々の人民を前に、本当に困窮した「存在」を優先しろと発言したそうです。
そんなハイデガーの過ちのひとつは、現存在というものの誤用でした。この現存在は個人の存在が危機に陥ったとき、自己を守ってくれる確信という事ですが、拙作で言えば『金毘羅』の中の、自分は深海生物だとか、心が男だという下りかもしれません、実際そうやって私は時に自分を守りました。が、この現存在をハイデガーは個人で使うよりも、民族という主語にあてはめてしまった。しかしね、人間の内心における個人的確信でしょ? それを複数で完全に共有というか統一させるのは結局無理ですよ。
ていうかそれこそが主観を客観に化けさせる魔法ですね。そうです、ジェンダーミーンズセックスと言うやつです。男が女湯に入る確信、根拠、主語をはき違えた現存在です。
だってそもそも男女がどうやって、そんな確信を共有し得るだろう。ていうか同じ宗教の下にいても個人個人は違う。ましてや「男は女だ」なんて真理省もどき。
ハイデガーの協力していた某組織は、制服、敬礼、鍵十字、等で民族の現存在を維持していました。ハイデガーは自分の影響下にある大学、学生達にこれを注ぎ込みました。ここ、服装が性別であるというジェンダー主義に似ていませんか?つまりは外見が内面を創出出来る、それが客観であるという妄信です。
ジェンダー主義者達に中身はない、敵を憎悪するための団結なら作れるけれど、ただの表層だけ。
え?「女の服だからいろいろだ、多様性がある」ですって?でもそれ、全部同じ仕様の「制服」ではないのですか?だってどのひとつを取ってもそれは、「着れば女体になれる魔法の服」。
そういう「制服」でただマントラを唱え、疑いを許さず、内部でもこまめに粛清をして、でも、粛清の基準ははっきりとは言えない。なので、……。
質問をされると「悲しくて涙が止まらない」と言ってみたり「トランス差別やめろ」と言うしかありません。まあ殴れ殺せ犯せとも言うわけでそれが海外でのデフォルトですが。
なお、このマントラや行進の根本にあるのは主語の略奪です。女の主語は男のもの、例?「女共よ持っている権利を全て男に寄越せ」、理由「男は女だから」。他には?
「もっとも女性差別される女それは男である」、理由「その男は女なのに女の肉体を持っていないから」、基本はこればっか、男が女だという魔法ですね。普通の日本語に入れると意味判らないですよ、水上氏の時評にもありましたけれど。しかも、……。
こうして略奪される女達は何も悪い事してもいない、憎悪にさらされて特権視されるけど、その実態は普通の市民です。まさに被害者です。しかし悪い事は全部彼女らの責任という事にして、略奪側の攻撃運動は続いていく「あいつらはTERFだぞ、TERFが殺したんだ」、なおかつ、……。
「TERFは差別者だナチスと同じだから殴れ殺せ犯せ」ってほら、途中から見事に被害と加害が逆転するのです。しかし、殺されたのは?レズビアンの一家、現在その蔑称もTERFのはずですよね。そもそも誰かの属性を理由にして相手を殺すのは、ナチスのする事です。
というわけで私は今、被害と加害を逆転させるハイデガー誤用者から、ナチスよりもっと悪人とされています。え?水上氏の民族は一体どこにって?それはシモーヌ民族です。トランス民族とか。
こうしてその現存在は凍ったままで、「読んでないけど」を今はもう、海外の作家にまで及ぼしています。ヘイト認定もアジュマブックスのような女社長の小さい会社にぽんぽん出しています。これ、お仲間が教えてくれた知識をもとに、最後まで読まずに差別認定、結果は発禁はっきーん、ですから。その上で『文藝』の坂上編集長は私に反論をさせません。
なおアドルノによればこの現存在をハイデガー自身がしたように誤用してしまうと、他者を失い、独善的に相手を否定するだけになってしまうそうです。つまり個人が民族に主語を委ねるとどうなるかという見本ですね。
本来ハイデガーの哲学自体は他者性や社会性を重んじたという事なのに。
大体、この水上氏、……。
ご本人には性別違和がなかったのですか?私、性別違和ありましたよ。その上に思春期から難病の体はいろいろ不具合をおこし、でも私は当時その原因が希少な病気のせいだとはまったく知らなかった。なので肉体に炎症が起こっていてもその苦しさは心の問題だと思ってしまった。すべて女である事への嫌悪、自分の性的肉体が嫌いなせいだとだけ思い込んでいた。
とはいえその大半は、女性差別が嫌、という事でしたけれども。
小学校のトイレの覗き、男の子三人に見られてほかの女の子と比較され言いふらされた。学校は深刻な事件として扱ってくれたけど、今も外ではできるだけトイレに行きません。さらに生理や体の変化、これは辛い。子宮筋腫があったので生理痛や消耗、出血もすごかった。女の体が嫌で男になりたい。そんな中、高校の服装はズボン許可で救われました。ジェンダーとか言わなくとも対策出来てました。ていうか確か生徒会が頑張ってくれた結果。
思春期の私は女である事が肉体レベルでも時に嫌でした。それでも心は揺れ動いていて、そして、現在……。
十万人に数人の難病と判明して九年、十代から症状は出ていました。それは不治、原因不明、発熱、関節痛、自分では痛みと気付けない場合もある耐えがたい鈍痛、皮膚がいきなり剥がれ、悪いときは真夏に電気毛布、最悪の時は自分の胸や布団が重くて肉体が潰されるほど痛い、しかし自殺したくとも動けないので助かっている。その他、……。
例えば希少な肉体を持つと出て来る不具合の困難。ちょっとした動作や習慣も誤解される事、数が少ないので話が通じない事、ていうかその中で私は性別違和があった。
そういう体験を経て今は自分の体と折り合っています。治療でステロイドをずっと飲んでいて、それ故今の私は体を動かす事が出来るのです。副作用は凄いけれど。
ただ、この危険でもある薬のお陰で、私の女体嫌いはなぜか軽くなりました。つまり痛みが軽減する。すると自分の体が、女である事を忘れている。受入れている。
そういう人間がそれを私小説に書いた。すると?読まず書かずで資料を切り取るこのニュー江藤は?
「端的に」、「間違っている」とツイッターで繰り返しそれで糾弾する資格を得たと思っている。一体誰に向かってどの口で?この独善、アドルノが言ったとおりの状態じゃないの?
他、私はトランスセクシャルやレズビアンと連帯しているのに、水上氏はこの人たちのことを平気で無視、切り捨てている。李氏も体を別の性別に近づけるように手術してかえたい人にすごく冷たい。前回に書いた人権団体のよう。
しかし苦しむ人々がこの世にはいる。それは長年の肉体にまで及ぶ激しく深く続く苦悶というレベルの性別違和、私は?
長く続く身体的性別違和の苦しみの原因はまだわかっていないけれど、難病に近い存在と現在は捉えています。但し、長年の身体違和に苦悶する人々に限ってですけれど。だって現行法が想定するのはその人たちですよね。
さて、この希少な人々が存在している事が二人には見えているのだろうか?
また李氏についてはその切り捨ての一方で、レズビアンを運動の付属品のように扱ってもいる。そもそも本人がレズビアンなのに。ここもまたハイデガーですよ。
ハイデガーはマルクスと対抗的で、経済格差、階級対立を越える概念として民族を設定していて、そこがナチスとの共通点でした。つまり民族の統一を第一にしてその団結の中における貧富の差を問題にしなかった。これを李氏にあてはめると、例えばL、G、B、Tの中で一番弱いL単独の権利を李氏は独立させようとしない。同じ集団の中の階級対立(身体差、収入の差)を無視して統一を取る立場。しかしその一方、……。
はい、これについては次回に、……。
(8)に続く