トランスジェンダリズム論争について考える(1)


Twitterアカウント名:みー(支援用)

 8月28日に、とあるところへ以下の投稿をいたしました。
 しかし、その後何も連絡がなく、メールへの返信も頂けないため、この場をお借りして、公開したいと思います。その旨の連絡もさせていただいております。
(以下、その時の投稿に若干の修正を加えさせていただきました。)

 私はこの2年間、トランスジェンダーをめぐる問題についてSNS(Twitter)を中心に考え、時に発言もしてきました。私自身もLGBT当事者(レズビアン&トランスジェンダー)です。

 この問題はずっと平行線のまま両者の溝が埋まらないどころか、ますます溝は深くなっているように思います。なぜこのような状況になってしまったのか、これまでを振り返り、私なりの考えをまとめてみたいと思います。

 なお、論文ではありませんので、形式等自由に語らせて頂きたく存じます。また、現在Twitterを中心に論争は繰り広げられていますが、アカウントを特定して個人情報を得ようといった行為が行われるのを防ぐため、Twitterからの引用はいたしません。まとめ記事などもありますし、検索機能を使えば辿り着くことができるかと思いますので、論文のように引用を厳格に行うことは控えさせて頂きたいと思います。

1.なぜトランスジェンダーが話題となっているのか

  表題で、“トランスジェンダリズム”という言葉を不快に思った方もみえるかもしれませんが、2003年に米沢泉美他により『トランスジェンダリズム宣言-性別の自己決定権と多様な性の肯定』(社会批評社)という書籍が出版されており、当事者の方達による主張です。

 そもそも、(広義)トランスジェンダーというものには、①身体違和がありGID(性同一性障害)治療を望むトランスセクシュアルと、身体違和はなく、②性自認は特に関係なく異性装をするクロスドレッサー(トランスヴェスタイト)と、③性自認のみであり、異性装も行わない狭義のトランスジェンダーの大きく分けて3つの分類があります。
 この分類は森山至貴『LGBTを読みとく』(筑摩書房、2017年)の99ページにも記載があります。
 LGBTの就労を支援するサイトでもこの分類が用いられています。

 トランスジェンダーの権利を推進させたいトランスライツ活動家やトランスジェンダー擁護派の方達は、トランスジェンダーという言葉を、前記のクロスドレッサーや狭義トランスジェンダーも含む広義トランスジェンダーで捉えている場合が多いように感じます。そして、戸籍変更の要件から手術要件を撤廃すること、更には欧米で進んでいるような、性自認のみで性別が変更できるような制度を導入しようと、日々活動されてらっしゃるようです。

 トランスジェンダーである私達のような存在は昔から存在していたことでしょう。
 もっともそれは長い間、異性装者として、自身の性別とは異なる性別の服装・外観・仕草をする者として認識されており、「性自認(性同一性・ジェンダー・アイデンティティ)」といった言葉で表されるようになったのは、日本においてはせいぜい20年ほど前からであり、それほど長い歴史ではありません。

 そして、このトランスジェンダーが話題となったのは、お茶の水女子大学がトランスジェンダーを受け入れることを表明(2018年7月)した頃であり、当時多くの人は好意的に受け止めていたように思います。
 ですが、ある男性がTwitterで「よーし、今から受験勉強に挑戦して、2020年にお茶の水女子大学に入学を目指すぞ!」と発言したことにより、女性達は「誰でも入れてしまうの?」と不安を口にし始めました。

 更に、すでに男性の身体のままで女湯や女子トイレに入っていることを自慢するトランス当事者の発言が複数確認されたことから、不安を口にする女性達が増えていきました。
 それに対し、トランスライツ活動家やトランスジェンダー擁護派の方達は、そうした不安を煽った身体的男性達を責めるのではなく「受け入れないのは差別である」として、女性達の態度を非難してきました。
 そして「#トランス女性は女性です」といったタグも拡散され、トランスジェンダーの権利を推進しようと過熱化していきました。

 最初の頃は女湯、最近では女子トイレに話題は移っていますが、これらの問題は枝葉に過ぎません。
 一番問題とすべきは、「トランス女性は女性」であるのかそうでないのか?という論点です。

2.トランス女性は女性です…?

 トランスライツ活動家やトランスジェンダー擁護派の方達からしたら、この問い自体が差別だと考えるようです。
 確かに、トランスジェンダー当事者の方を目の前にして「あなたは女性ではない」等と言うのは失礼でしょう。女性として生きたいと願っている方にとって、それは命にも関わるほど傷つく問題だと思います。私も面と向かってそのような言葉を掛けたいとは決して思いません。
 しかし、法改正や社会システムを語る上では避けて通ることはできませんので、それは何卒お許し頂ければと思います。

 まず、現行の法制度(性同一性障害特例法・2003年成立)を確認してみたいと思います。
 性別を変えたいと考えた場合は、ジェンダークリニック等を受診し、治療を受け、更に性別適合手術を受け、未成年の子供がいない等の要件を満たさなければ戸籍上の性別(法的な性別)を変更することはできません。
 つまり、「トランス女性」と女性の言葉がついており、性自認が女性であったとしても、法的には男性のままですし、性別適合手術を受けなければ医学上も男性のままです。

 しかし、世界の潮流としては、手術を要せず法的な性別を変えられる、国によっては医師の診断すらも必要としないというところが増えています。
 こうした流れから考えても、日本の性別移行の法制度が硬直的であり、遅れを取っているという見方があるのは確かでしょう。LGBT議連や活動団体も法改正を求めています。

 ですが、それがすべて正しいとは私には思えません。

 年齢要件は2022年4月1日から20歳以上であったところが18歳以上に引き下げられます。成人年齢が変更されることに伴うものでしょう。しかし、思春期は心身共に不安定であり、気持ちも変化しやすい時期です。確かに、第二次性徴が辛いという気持ちは、私も当事者としてよくわかります。ホルモン療法は15歳から可能ですが、それでは遅いと感じるかもしれません。

 しかし国内でも海外でも、性別移行を後悔したり、元の性別に戻れる状態であったため戻ったという例が少なくありません。

 心は変化するものです。自我も定まっていない内から不可逆的な施術を行うのは本人の人生にとって良くない結果となる可能性もあるのです。自己決定することができる年齢となれば、やはり成人である必要はあるように思います。

 非婚要件は撤廃してもいいと思います。
ただしパートナーの了承は得る必要はあるでしょう。婚姻していると同性婚の状態になってしまうため、この要件が設けられているようですが、これを機会に同性婚も認めてしまえばいいと思います。私はパートナーと入籍できるようになるので大歓迎です。
 幸せになる人が増えるだけで、誰も損はしないし、迷惑にもなりません。

 未成年の子がいないという、いわゆる子なし要件も撤廃していいと思います。子供が小さくても、パパが2人、ママが2人になっても、それぞれの家庭で幸せになることができます。
 “かわいそう”と言われたり、いじめられたりするようなことがあれば、そんなことを言ったり、いじめる方が100%悪いのです。そちらをやめさせればいい話です。

 そして一番問題となる手術要件。

 現在は「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」とされています。法改正を訴える方達は、断種である、手術は危険で体への負担も大きい、手術を強制するのは人権侵害、だと考えているようです。

 しかし、そうでしょうか?そんなに簡単に性別を変えられていいものでしょうか?私はそれなりのハードルは必要であり、覚悟を持って臨んでほしいと思います。

 私も最近まで多少の要件緩和はいいと思っていました。手術まではいかなくても、後戻りできない程度にホルモン治療が進んでいれば、ハードルを下げてもいいだろうと。
 しかし、社会は他者との関係性で成り立っている以上、他人に恐怖心を抱かせることはあってはならないのではないか、と考え直しました。

 特に日本は温泉文化があり、公衆浴場が多数あります。
 女性の身体で男性の専用スペースへ入ることは、周囲にとっては問題とならないでしょう。本人に危害が及ぶ危険性は別として。

 しかし、男性が男性器を持ったまま女性専用スペースに入ることは、女性にとっては恐怖でしかありません。女湯にしろ女子トイレにしろ、腕力では勝てませんし、男性器自体に加害能力があり、最悪妊娠する危険がありますから。

《続く》考える(2)へ