TERF、和ターフ、差別煽動者と呼ばれて。

Twitterアカウント名:とびうお

先日の石上卯乃さんのWANへの投稿によって、この2年ほど紛糾していた「トランス女性」(便宜上この呼称を使用する)問題論争に新たな状況がもたらされた。
石上さんの”他称TERF-Trans Exclusionaly Radical Feminist-トランス排除的ラディカルフェミニスト”的見解の一文が、トランスライツアクティヴィスト(以下TRA)の人々の牙城と目されていたWANのウェブサイトに掲載されたこと。その衝撃は大きかった。
この問題に対して積極的に発言してきた人々はもちろん、おそれをもって傍観してきた人々にとっても。

※編集部注:「他称TERF」とは/「『TERF』と呼ばれ非難されている女性(人々)」のことです。ここではあえて『他称TERF』と呼んでいます。

ほどなくWANウェブサイト上に続けざまに反論が寄せられたことからもインパクトの大きさは推し量れるだろう。
以下、他称TERFと非難されてきた生得的女性の一員として、これまで見てきたこと、感じたこと、考えたことを述べたいと思う。受け止めていただければ幸甚です。

1.女性スペースの当事者とは誰か、女性スペースの目的とは何か

他称TERFは女子トイレや女湯、女子更衣室の話ばかりする、と言われる。が、それは当然だ。
それ以外の場所で、「トランス女性」が–とりわけ身体的に男性である「トランス女性」の人々が–いわゆる生得的女性と同じ扱いになって困る場所がないのだから。多くの日本で生きている女にとっては。

女性スペースの当事者とは誰だろうか?もちろん女性だ。
女性たちは、なぜ女性スペースを必要としているのか。

もっとも大きな理由の一つは、男性による性加害の予防だ。いうまでもないと思うが、性加害者のほとんどは生まれながらの男性が占める。

また、性加害の中でも視覚を大きな要素とするもの、覗きや露出行為は、使用者が互いに体を見てしまう性質の性別スペースでは、害意がなくても成立してしまう。
そのため、TRAでも穏健な人々は、性別適合手術を終えていない「トランス女性」の女湯や女子更衣室の使用については強硬に主張しないことが多いようだ。
ただし「本来使用する権利はあるのだが、トラブルを避けようという当事者の温情によって使用を差し控えているだけだ」とは言っている。

2.女子トイレ問題は差別問題か?

女子トイレ問題、と表現したのは、男子トイレにおける「トランス男性」の使用について、男性側からの批判や懸念がみられないからだ。あるとすれば、「トランス男性」側が実は身体的に女性であると露見したときの危険になるだろう。
こうした非対称性が存在する理由は、前述したように、背景に性暴力問題が横たわっているということに尽きる。

排泄は生きていく上で避けることはできないし、極力自宅で済ませていったとしても、万全ではない。外出時の行動の自由を支えてくれているのが、公共のトイレの存在だ。
性別トイレのおかげで、女たちは行動の自由を獲得している。

性暴力の危険や脅威にさらされずに外出時も用を足せること。
これが人権の一種だということに異論はないのではないか。
その権利は「安全な場が確保される権利」であり、性別に適合したトイレ、というのは安全確保の反射的効果だろう。
しかし、その理路はTRAの人々には重要視されていないようだ。
多くの生得的女は、「女子トイレ」と銘打たれたトイレではなく、「女性と子どもが安心して入れるトイレ」「身体男性が入っていたら通報できる女性用トイレ」を必要としている。
現にSNSでも、「男子トイレ」「女子トイレ」「差別者TERFの身体女性用のトイレ」が設けられていたなら、差別者呼ばわりされたとしてもTERFトイレを選ぶという声がいくつか見られた。

その3種類以前に、「多目的トイレ」「だれでもトイレ」の存在があるのでは?と思われた方も多いだろう。そのとおりだ。
ほとんどの他称TERFは、性別適合手術の済んでいない「トランス女性」に男子トイレを勧めてはいない。もっぱら「多目的トイレ」や「だれでもトイレ」を使用してほしい、と要望していた。そして、多目的トイレやだれでもトイレの増設や整備運動が実施されるなら、喜んで協力すると。
身体的性別でわけられたトイレとは、性別によって極端に非対称な性暴力と、その防止の問題に他ならなかったのだ。

3.女子トイレ問題における差別問題とは

「性別適合手術を済ませないうちは、表立っては女子トイレを使用しないでほしい」と望む女性の多くも、治療の進行状態や経済的理由、身体的事情から、すぐには手術に踏み切れない「トランス女性」の存在は知っている。そして、外見が女性として不自然でなく、マナーを守って女子トイレを使用するなら、許容できるという人は少なくなかった。他称TERFの中にも。
しかしそれは、”性他認”において女性と認識される人でなければ厳しいだろうと。いわゆる、完全埋没者である「トランス女性」だ。

学者・研究者を含むTRAの人々から、「現在女子トイレを使用している『トランス女性』は、自分がどれだけ女性として他人から見られるかを熟知している。だからトラブルも起こっていないし、安全度も下がらない」という主張がある。

「トランス女性」のありようには、身体状態・ライフスタイル・外見・服装・女性として過ごす時間等、多様な態様が含まれる。
そしてセルフIDという、自己申告のみで性別変更ができる国においては、未手術で外見が男性にしか見えなくても、自分が女性だといえば女性として扱われる。

※編集部注:セルフIDとは/「性適合手術をしていない身体のまま、自分が自認している性別に変更出来る」というものであり、諸外国で導入されたものの、見直しも始まっています。

”他称TERF”の懸念の中心は、セルフIDやそれに準じた制度が我が国に導入されたなら、性同一性が女性でない男性も「トランス女性」を名乗ることが非常に容易になること、それが女性スペースの安全度を下げることだ。
TRAやアライの人々はいう。「女性スペースで男性かもしれない不審者を見かけたなら、遠慮なく通報すればいい」と。


しかし、現実をみたとき、通報は抑止力としてそれほど強力だろうか。
尿意や便意をこらえながら、通報先を確認する。サービスカウンターや管理室へ行く余裕がある人は少ないだろう。
私の知る限り、非常ボタンはトイレ個室内にしかない。不審者をやりすごしながら個室で用を足しつつボタンを押せるか–しかも非常ボタンには「体調に異変」や「気分が悪くなったら」などという注意書きが添えてあり、不審者通報は予想されていないのだ。
そもそも性加害者は、通報や抵抗などしそうにない、腕力や体格で威圧できる相手を獲物に選ぶ。
通報する力に乏しい、高齢者や女児、障がい者女性はどうなるのか。

そう、穏健派の他称TERFと穏健派のTRAの見解はほぼ一致しているにもかかわらず、ルール作りと運用に至って正反対になってしまうのだ。

他称TERFは、性悪説でルールをつくり、性善説での運用を望んでいる。
性加害者のほとんどが身体的男性であるといっても、性加害などしない男性が多数派であることはいうまでもない。しかし、男性が加害者属性であることは証明されているから、一律に排除するルールを設定する(性悪説)。
だが杓子定規に運用すると、その枠にはまりきらず不利益を被る人々がいるから、正面から認めはしないものの、使用者相互の良識を信じ、「トランス女性」側の通報リスク負担で自治的に運用する(性善説)。とはいえ、そうした緊張関係そのものが望ましいわけではないので、多目的トイレやだれでもトイレの使用を推奨するし、増設を訴えようと考えている。

TRAの人々は、性善説でルールをつくり、性悪説で運用されてしまうことを看過する。
『現状すでに”利用できる状態の「トランス女性”」は女子トイレをトラブルなく使用しているのだから、現在の安全度は落ちない。しかし、本来どんな身体状態や外見であれ、「トランス女性」には女子トイレを利用する権利はあるのだ。「トランス女性」は女性なのだから。女子トイレの安全は使用者が女性である限り保たれる』(性善説)。
そして「ペニスのある女性もいる」と主張しつつ、トランス女性ではない男性と、トランス女性の明確な区分については口をつぐむ。この主張通りに女子トイレ使用を運用すれば、外見や容貌や体型が女性とは認めがたい人であっても、「トランス女性」として女子トイレに入ることが完全に可能になってしまう。そしてこれまで、女性スペースで女装男性による数々の性暴力がしでかされてきていることは、報道等でも明らかだ。(性悪説)

私はTRAの主張には大いなる欺瞞を感じずにいられない。
「差別は認められない」から、個々の「トランス女性」がどんな外見や身体状態であっても、女性スペースにおける扱いが身体的女性と異なることを認めない。しかし、当事者の「トランス女性」の人々自身が、自分の状況を配慮して性別スペースもしくは多目的スペースを使用すること自体を差別的であるとして批判はしてはない。実質、「トランス女性」にリスク負担を丸投げしているに等しい。
そして仮に、TRAの主張どおり「どんな外見や身体状態でも、『トランス女性』と主張する人は女性であり、女性スペースを使用する権利があるのは当然だ」となれば、性加害をもくろむ身体的男性の女性スペース使用はフリーパスとなる。リスク負担はすべての(–「トランス女性」も含む–)女性たちだ。

結局、TRAの人々自身も、「女性スペースを使用できるトランス女性」と「使用できないトランス女性」を、スペクトラムはあるにしろ区別しているのだ。そしてそこに秩序や安全確保の任を負わせている。

4.これまであったこと、これからのこと

昨年、Twitter上で非常に注目を集めた二つのトランスジェンダリズム関連のできごとがあった。
ひとつは、「め」氏の投稿だ。男性器のある老若の人々が、身体的女性とともに女性スペースをにこやかに利用しているイラストと、それを肯定する文が議論を呼んだ。
もうひとつは、れいわ新選組から参議院に比例立候補した安冨歩氏のツイッター上での発言だ。氏は、中年以降から自身をトランスジェンダーと意識し、表明し、女性装で生活している。そして「男子トイレは怖くて使えません」と女子トイレ使用をツイートで告白した。「やすとみ歩が女子トイレ・女湯にいたら、困るor別にor嬉しい」というアンケートも実施した。

TRAとアライの人々は、このふたりに極めて冷淡だった。

「め」氏は、あろうことかTERF側の回し者・なりすましで、TRAを攻撃するためにつくられたアカウントでは?とまで言われたし、安冨氏の「トランス女性」としてのライフスタイルや主張を支持したり共感したりするツイートも、一つたりともみかけなかった。
あったのは、TRAに親和性の高い研究者による、安冨氏のジェンダー認識などに対する批判だけだった。

他称TERFと呼ばれる私たちは、何かと戦うことに自己肯定感や高揚を求めているわけでは元よりない。ただ女性スペースの安心を取り戻し、せめて現状の安全を維持したいだけだ。
「トランス女性」が多様な存在であることを否定したいわけではない。定義を必要としているのでもない。身体的男性が、「トランス女性」を偽装して女性スペースに立ち入らないためにはどういう策がとれるか、そのために尋ねてきていただけだ。

「トランス女性」の定義づけが困難なら、まずは身体的基準によって安全を確保し、並行して施設整備や拡充によって、どんな性であってもスムーズに生きていける社会にしていきたいだけだ。それは多目的トイレやだれでもトイレの増設はもちろんのこと、男子トイレの個室増設や、小便器でもプライバシーが守られる設計が考えられることも含む。

大切なのは

「ジェンダーや自己の認識がどうあろうと、あなたの体にまつわる尊厳は社会が全力で守る」

という認識が共有されること、それが反映された空間の設計が考案され、取り組まれることでは無いのか。

TRAとアライの方々の主張から、私はそれを感じることができなかった。残念だ。

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※編集部注:こちらは2020/9/26に別名義でWANに投稿したものを、FLJ編集部へ寄せていただきました。このたびの掲載にあたり、数か所の修正が加わりました。