石上卯乃
私は日本共産党の党員ではありませんが、共産党さんが良しとする価値に共感するところが多々あります。特に、すべての人間は平等であるという考え方は私の信条でもあります。そのような人間からの言葉として、ぜひ日本共産党さんとその機関紙赤旗さんに聞いていただきたいことがあります。
言うまでもないことですが、平等には「機会の平等」だけでなく「結果の平等」というものがある、ということは広く知られています。
たとえば雇用や受験など、いろいろな場で機会の平等の考え方に基づいて仕組みが動いています。能力のある人がそれを生かせない状態なのは不当であり、機会は万人に平等に与えられないといけません。
ですが、スタート地点で既に差がある場合に、それを無視して同じ条件のもとで扱ったり競わせたりすることも、真の意味での平等とは言えません。生まれ育った家の資産も、情報へのアクセスも、社会関係のなかで得られる有形無形の財産も、人がもともと与えられているものは平等ではありません。だからその点を常に考えて、結果の平等がもたらされるよう、equity(公平、公正さ)を志向しなくてはいけません。
誰にも等しく同じ権利を分配すること(機会の平等)と、人間のあいだの平等な権利が保たれる状態を確保すること(結果の平等)は違っています。そして日本共産党は、弱い立場の人々・困っている人々に寄り添うことを選んだ時に、後者を重視することを選んだはずです。だからこそ、公正さを志向する、心正しい人たちの支持を集めてきた、そのような党だったはずです。
「はず」という言葉を今ここで使わねばならないことの意味が、共産党さんにはおわかりでしょうか?
機会の平等の実現は、端的に言えば権力さえあればできることです。でも結果の平等の実現は、社会にどのような問題があり、どのような人々がハンディを負っていて、それを是正するにはどのような方策が必要なのか、そのために何を政権や社会に対して求めていくべきなのか、それらを丁寧に追求するという仕事があってこそ実現が可能です。日本共産党さんにはそれをする志と能力があり、これまでそうすることで支持を得てきた、と私は考えています。
それなのに今、日本共産党さんは、安全と公正を求めて身体的女性たちからあがっている悲鳴のような声に耳をふさぎ、「社会にどのような問題があり、どのような人々がハンディを負っていて、それを是正するにはどのような方策が必要なのか、そのために何を政権や社会に対して求めていくべきなのか」を「トランスジェンダーの立場から」のみ考える党になっているように見えます。数の多さによってだけ身体的女性をマジョリティだと思い込み、それを女性たちの声を聞かない理由にしているように見えてしまいます。
日本共産党さん。
「外国で起きている問題は日本では起きない」と、水道民営化問題を見ていて仰いますか?
TPP問題ではいかがですか? 食糧安全保障についてはどうですか? 米軍駐留問題については? 決して仰いませんよね。
それなのに今、「性自認をその人の性別とする」という考え方を支持する立場に党がシフトするにあたり、赤旗で書くようなジェンダー学者やライターの方々は、「既にこの制度が導入された外国で起きている問題は日本では起きない」と言わんばかりに、外国で問題になっている事例を伝えようとしないのです。そのことに気が付いておられますか?
共産党さんに「性自認をその人の性別とする思想は、女性の権利を侵害する恐れがあります」と告げる身体的女性たちは、既に導入された諸外国で何が起きているのか・何が日本でも起きるのかを知っているからこそ、JCPサポーターたちを含む人々から差別者と罵られても、声を上げているのです。自分のことだけではなく、それが導入された社会で最も弱い人たちがどのような不利益を被るのかわかっているからこそ、その人たちを守ろうとして声を上げているのです。
日本共産党さんは今もまだ、結果の平等にコミットする党でしょうか? そうであるのならば、以下を考えてみてください。
・「身体的男性が性自認のみで女性となり、女性政治家としてカウントされ、『これで男女同数に一歩近づいた』と言われる」状況を、どう思われますか? これはこの制度が既に導入された外国で起きていることです。身体的女性はこれまで苦労して政治の世界に参加してきました。でも性自認のみで身体的男性が女性になるのであれば、政治の場がすべて身体的男性で占められても、それを平等と呼ばねばならなくなります。そのような社会で、月経・妊娠・出産・女性への性暴力が、今よりきちんと取り上げられることになると予想なさいますか? 身体的女性の立場から見て、これは結果の平等に適うことでしょうか? 「そうならないように身体的女性がもっと頑張ればいい」という言葉をもしも選ぶのであれば、それは、女性をこれまで踏みつけにしてきた社会や政治とどこが違うのでしょうか?
・「身体的男性が女性スポーツに参加して優勝をさらっていく」状況を、どう思われますか? これもこの制度が既に導入された外国で起きていることです。身体的に「スタート地点で既に差があるのにそれを無視して」いることにはなりませんか? これは結果の平等に適うことでしょうか? スタート地点の不平等を無視したまま、スポーツは競い合うもので強ければそれでいい、という考え方を押し通すことは、新自由主義的なのではありませんか?
・「身体的男性が性自認のみで女性となり、女性専用スペースに出入りできる」状況を、どう思われますか? これもこの制度が既に導入された外国で起きていることです。性自認のみで女性になれるのであれば、見かけや服装で判断することは厳禁となります。MtFトランスジェンダーなのか侵入派の男性なのか、そのときそのときで区別をつける責任を負わされた身体的女性たちは、安心して社会生活を営むことができるとお考えですか? 危険度が上がった中で、女性たちがその都度身を守ることができるとお考えですか? これは結果の平等に適うことでしょうか? 人間社会として望ましいことでしょうか?
ある人の性自認は他の人間が確認することはできません。また、固定的なものでもありません。それを基盤に社会のルールを作ってしまえば、それは上記の海外の事例のように、一部の力のある者たちのみを利することになります。困っている人たちに寄り添ってきた日本共産党さんにこのことが見えないはずはない、そう信じているからこそ、私を含めた身体的女性たちは今、共産党さんに理解してほしくて抗議の声をあげているのです。
日本共産党さん、今もこれからも、どうか結果の平等にコミットする党、困っている人を助ける党、物事の道理を見通す党であってください。
日本共産党機関紙「赤旗」さん。
日曜版編集部さんの日本ジャーナリスト会議のJCJ大賞の受賞、おめでとうございます
ジャーナリズムの本分は権力の監視であり、まさにそのようなお仕事をなさっていることに敬服しています。そのような見識と能力をお持ちの赤旗さんに、ぜひお伝えしたいことがあります。
権力の監視だけでなく、権威の監視もしていただきたいのです。
権力は腐敗しやすく、その影響は多くの人に及びます。赤旗さんはそれを防ぐために権力を監視をし世に知らせてこられました。
一方、学識者の権威は、その専門性により敬意を受け、監視されることはありません。赤旗さんも信頼できる情報源と認識しておいでのことと存じます。
ですが、権威というものは、時間をかけて多くの人に影響を及ぼすものです。その力は一時的な権力よりも大きいかもしれません。その力の行使のされ方を、どうか見落とさないでいただきたいのです。
「#TRA学者の言いなりになんてならない」というツイッタータグをご存知でしょうか。 これを「反知性主義」と嘲笑う人もいますが、これは権威あるものすべてに反抗しているという意味ではありません。今の日本のジェンダー学者の方々の間で主流になっている言説を鵜呑みにしていては、身体的女性の安全も社会の公正も守られないと気が付いた人たちが、TRA、つまりTrans Rights Activists(トランス権利活動家)の意見しか汲まない学者に対して不服従の意を表しているのです。
日本のジェンダー学者の方たちの間ではジュディス・バトラーが大人気で、まるで彼女のファンクラブのようです。バトラーの思想が席巻し、それが見落としたり軽視したりする諸問題を指摘することさえできなくなっています。
市井の女性たちと学者たちの意見が異なっているのであれば、両方の意見をきいてこそ、民主的なジャーナリストと言えるのではないでしょうか? 前者に権威がなく後者から無視されているのだとしたらなおのこと、前者の声を拾い上げることができるのは、民主主義を心の核に持つ、強い意志を持つジャーナリストをおいて他にはないのではありませんか?
赤旗さん、どうか権威を批判的に見ることのできる新聞であり続けてください。今起きていることは「一部の人間たちの差別意識によるトランスジェンダー排除」ではありません。私を含めて、TERF、つまりトランス排除的ラディカルフェミニストと非難を込めて呼ばれている女性たちは、個々のトランスジェンダーの方の生き方に抗議などしていません。今起きていることは「トランスジェンダリズムという政治運動が女性の定義を変え女性の領域を強引に変えようとして抗議を浴びている」のだと、どうか気付いてください。
日本共産党さんは知的エリートの声のみを尊重するのだとはどうしても思えませんし、思いたくありません。赤旗さんが人権擁護の立場から長年にわたって性別違和に苦しむ人たちの声を取り上げてきたことは存じていますし、それでこそ赤旗さんだと思っています。ですが別の見方が浮かんできてそちらも人権の立場から声をあげているときに、これまで取り上げてきた側の声しか聞かないのであれば、果たして民主的と言えるでしょうか。
市井の女性たちの声を聞いてください。ツイッターでの議論を追いきれないのならば、Female Liberation Japanで語られている言葉からまず読んでください。
Female Liberation Japanに投稿したり応援したりしている人たちのほとんどは、自ら政治の場に立とうなどとは思ったこともない人たちで、そのなかには選挙の際に日本共産党に票を託してきた人たちも数多くいます。困っている人、弱い立場の人の声を聞き逃すことがない政党だと思って信頼してきたからです。ですが今、この信頼が揺らぎつつあります。この事態の深刻さにどうか気づいてください。
※追記
こちらをいったん投稿した後の11月18日に、”手術要件の撤廃を政策に明文化して掲げたことはなく、どのように見直すかについても定まっていない” という旨のお返事を日本共産党ジェンダー平等委員会から受けとった方のツイートを拝見しました。日本共産党がこれを国民的議論と認識しておいでだということ、また、異なる意見に耳をふさいでいるわけでもないということを知りました。これからも日本共産党に声をお届けすることに意味はある、と気持ちを新たにいたしました。